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被爆 その前の広島のこと。

‘2010年12月15日’

原爆が投下されたのは、1945年8月6日。

来春に、外国人の知人が広島に来て原爆のことを知りたいとの申し出があり、
自分なりに動いてみることにした。
そして被爆後とその前の広島について、資料をつくったり調べていらっしゃる方のお話を伺うことが出来、色々と考えるきっかけを頂いた。
ここから書くことは、無知に近い私の勝手に感じた感想です。
とてもセンシティブなテーマだからこそ、主観で言っていいのかとも思いますが、
原爆について自分が思ってきたことや、お話を伺って感じた新しい切り口を伝えたい と思います。
その先生は、当時の写真を元に、事実としての被爆前後の広島を知ろうと活動なさっているそうで、様々な写真を見せて下さいました。
私は被爆前の広島の街の美しさ、愉しさ、文化レベルの高さにとても驚かされました。
モダンな石造りの建物や映画館、おしゃれな着物と洋装の人々の暮し、凝ったレリーフの沢山の橋などなど。(広島は幾筋も側が街に流れているため、橋が多いのです)
すっかり無くなってしまった事、その後のクローズアップが多すぎたのか、小中学校での平和教育の時間、私は怖がってばかりで以前の広島を見ようとか、積極的にその事について知ろうとはしていなかったので、見た事もない様な景色でした。
自分の関わりのある場所が、かつてこんな華やいだ色をまとっていたと知るだけで
また1つ、すきになれそうな気がしました。
そして、広島には大きな軍の施設が市内の多くを占めていたという事。
知っている方には怒られそうな事なのですが、恥ずかしながら良くは知りませんでした。
とっても広大な土地だったんです。その敷地が。
だから広島に投下されたそうです。
被爆地であると同時に、当時の戦争にかなり加担もしていたという事。
一体今までどれだけ毎年特番が組まれて、このテーマについて色々な方が発言をされていたのでしょう。
私は小さな頃の怖い幼い記憶のまま、そこから学ぶことや知ることを拒否し続けていた事を
恥ずかしいとも思いました。
今年の夏、当時路面電車の車掌さんをされていて、あの日被爆された女性の講演会を聞きました。
この方は今、80歳を過ぎておられますが夢を持ち、車を運転もし、生きて前に進み続けていらっしゃいます。
私はその当時の恋のお話や、今もなおときめきを生に感じ続けていらっしゃる心に、何て強い方だろうと感じました。
自分があまりに勉強不足で、この話は到底まとめて終わることが出来ないのですが
具体的に目標を掲げてこの文をしめようと思います。
• 今度広島や原爆のことを知らない人や知りたいと聞かれた時に、少しでも具体的に事実を伝える事が出来るよう、図書館や資料館で原爆についてを知り、私なりにまとめてみることにします。
• また機会があったら被爆者の方のお話を伺ったり、当時のことを調べていらっしゃる方のお話を聞きます。
• 街を、もう少し過去もあったという目で見て歩いてみます。
今思いつく、現実可能な目標はそんな所でしょうか。
とりとめもない、メモのような文ですが、大切なことな気がしたので
書きました。
読んで下さったみなさん、ありがとうございます。
過去のつづきの今日に在る自分に出来ることを、ひとつずつ。

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